「てか、凛ちゃんのネイルめちゃかわいくない?」

「そう?」

「うん、凛ちゃんのイメージぴったりって感じ。あんまり派手じゃないし、ちょっと綺麗めというか。ねーねーどこでやってもらってるの?」

「自分でやってる」

「えーーーーマジかよ!!!センスありすぎなんだけど!!!」

周囲からクレームがきそうなほど大声で話す「佐々木」は、いつも昼休みになると教室の端にある私の席へやってくる。毎回こうして私の容姿をとやかく評価しては、アイロンで傷んだ自分の髪や化粧ノリの悪い肌に文句をつけて、こちらの感情に気を留めずにベラベラと喋るのが常だった。こいつが居座るようになったキッカケは、よく覚えていない。気づいたら、目の前にいた。私は入学してから今まで友達がいなかったので、未だに距離感を掴めずにいた。

最初は、薄っぺらい人だと思った。佐々木とたむろしてるやつらって馬鹿ばっかだし。こいつも馬鹿だし。けど、話すうちに「人をよく見ている子なんだな」と思うようになった。髪型や化粧を変えたら絶対に気が付くし、私が話したことは大体覚えているし。変なやつ。でも、そんな態度をとっておきながら、一定のライン以上は絶対に踏み込んでこなくて、逆にそれが腹立たしかった。家族構成とか、休日の過ごし方とか、私のプライベートな話題には一切言及してこなくて、それを気楽に思いつつ、それほど信頼を置けない人間だと思われているようで複雑だった。所詮、上辺だけの付き合いでこの関係は終わっていくのだろうし、佐々木もそれを望んでいるのだと思った。

「佐々木にもできるよ」

「いやいや。これは凛ちゃんの肌がブルベだから似合うのであって、あたしの肌には合わないのよ。マジで羨ましい」

「佐々木にはこっちの方が似合うかもね」

私はスマホの画面を数回叩いて、ブックマークからお気に入りのネイルブランドのページを開いた。中高生でも購入できる「プチプラ」が売りのメーカーで、新作が出たら必ずチェックするのが習慣だった。スマホを一度机におき、佐々木の手をとって、まじまじと見つめる。ささくれのない、健康的な手だった。

「オレンジ色。寒色系よりも、暖色系の方が似合うと思う」

「かんしょく?だんしょく?」

「寒色は冷たそうな色、暖色は暖かそうな色のこと」

「へえーーーー!凛ちゃん、よく知ってるわ」

「あと透け感ある方がいい。夏だし。多分、駅前のドンキに売ってる」

「マジ感謝。放課後ダッシュで買いに行くわ」

佐々木がそう言うと同時に、教室のスピーカーからチャイムが鳴った。佐々木と話すのは、昼休み終盤の15分間だけだった。シンデレラが0時を迎えた時はこんな気持ちだったのだろうか——と想像し、恥ずかしくなってすぐに記憶から抹消した。

「じゃあね、凛ちゃん!明日、感想めっちゃ伝えるわ」

「うん、分かった」

佐々木は自分の席に戻ると、またすぐに他のクラスメイトとベラベラ話し始めた。輪が広がり、周囲にいたやつらが群がり始める。私は席に突っ伏して、まぶたを閉じて寝たフリをした。やつらが佐々木をカラオケに誘って、バイトまでならいいよと許可する声が聞こえてくる。近くの席で話しているはずなのに、なぜかその声が遠くから発せられているような気がした。

暫くすると数学の先生が教室に入ってきて、席に戻るように促した。やつらがわらわらと散っていくのが、空気で伝わってくる。

私は、やつらとは違う。でも、やつらと一緒にいる時の佐々木はいつも笑顔でいた。それが一番悔しかった。


次の日、佐々木は私の席へ来なかった。教室を見渡したが、その姿は見当たらない。そんな日もあるだろうと思い、女子トイレへ向かうことにした。個室に入ると、トイレの入口から聞きなじみのある声が聞こえてきた。

——佐々木と、いつもつるんでいるクラスメイトだ。

洗面台の前に来て(恐らく前髪を整えながら)大声で話し始める。気まずさを覚えたが、仕方なく聞き耳を立てた。

「佐々木、いつも昼休みに冴木さんといるけど、なに話してんの?」

「え?メイクの話とか。凛ちゃん色々と知ってるし」

佐々木の言葉を聞いて、思わず顔がニヤける。そのまま、続きを聞いた。

「でも冴木さんてちょっと近寄りがたくない?なんか話す気ないオーラ全開というか」

「あーーね。皆に対してはそうかも」

「金子が、マジで不思議がってたよ。冴木さんと話してるの、佐々木しかいないし」

「別に良くない?私の勝手でしょ」

「いやなんか、傍から見てると違和感しかないんだわ。全然、釣り合ってないし」

「そうなの?」

「そうそう。なんか世界が違うというか。佐々木はウチらと一緒にいればいいのにねって皆言ってる」

「ふーん・・・」

そのまま佐々木達は別の話題へ切り替えて、ゲラゲラ笑いながらその場を後にした。やつらと距離を置いている自覚があるとはいえ、率直な自分の印象を聞くと結構しんどくなる。私は教室へ帰るのが億劫になり、そのまま個室に居座ってチャイムが廊下に響き渡るのを聞いていた。


そのトイレ事件(私が勝手に呼んでいる)以降、私は昼休みを屋上で過ごすようになった。たまに数名が気晴らしにやってくるが、毎日ここで過ごしているのは私だけだった。夏とはいえ、日陰は比較的涼しくて過ごしやすい。そよ風が吹くと、校舎の横に植えられたケヤキの木から、さわさわと葉がこすれる音がした。いつも隣でやかましい大声を聞いていたからか、静かな時間がゆっくりと流れていくように感じた。

私が避けているのを佐々木は察しているようで、背中の方から文字通り刺すような視線を感じるようになった。一度、悪質なストーカーかと思うほど追いかけられ、必死の思いで巻いてからは、昼休みに話しかけられることは無くなったが、虎視眈々とその機会を狙っているようだった。あいつはあいつなりに色々と考えているのだろう。距離感とか。私の機嫌とか。そう、そのまま考え続けて、ずっと苦しめばいい。ざまあみろ、だ。

いつものようにボーっと空を眺めていると、扉が開く音がした。足音がこちらへ向かってくるので振り向くと、佐々木がこちらを目がけて走ってきた。目の前に立ち、息を整えると私の目を見て口を開いた。

「最近、避けてるよね?」

「・・・」

「なんで?あたし悪いことした?」

「いや、別に・・・」

「はあーーーーーー・・・」

気まずくなって、私は思わず俯いた。佐々木も珍しく黙っていて、いつもの葉がこすれる音が二人の間を駆け抜けていく。ややあって、佐々木が体を動かす気配を感じた。気になって顔を上げると、佐々木が頭を下げていた。

「ごめん」

「え?」

「あたし、邪魔だったよね」

「いや」

「だって、昼休みずっと一方的に喋ってたし。あたしばっかりあたしの話してさ」

「はあ」

「ママに話したら『凛ちゃんの話は聞いてあげてたの?』って言われて。マジでそうだと思って反省して」

「(母親に相談したんだ・・・)」

何となく目を合わせづらくて佐々木の足元へ目を向けると、上から丸い滴がポタポタと落ちてきた。驚いて佐々木を見ると、大粒の涙を流していた。

「凛ちゃん、ごめんねえ。凛ちゃんの気持ちを考えてなくて・・・」

「う、うん・・・」

「凛ちゃん大好きだけど、凛ちゃんが嫌ならもう話しかけないからあ。ごめん、ごめんねえ・・・」

「ちょ、ちょっと待って!」

私は勢いよく立ち上がり、ポケットを探ってハンカチを取り出すと、佐々木の顔を拭った。佐々木は鼻をすすりながら、真っ赤な目で私を見つめてくる。涙のせいで毎朝しっかり仕上げるアイメイクが落ちていた。ピンクブラウンのアイシャドウは私が先月勧めたものだろうか。佐々木が落ち着いてきたのを見計らって、私は優しく声をかけた。

「ごめん。佐々木のこと、避けてた」

「やっぱり!!!!凛ちゃんひどい!!!!」

「ごめん。佐々木は私と一緒にいない方がいいと思って。私といると周りに色々思われるから」

「凛ちゃん・・・」

佐々木がありのままの感情を全力でぶつけてくるので、私も涙がこみ上げて視界がぼやけてくる。自分の純粋な気持ちが口から出かけて呑み込んだが、意を決してそのまま言葉を続けた。

「でも、佐々木とはもっと話したい。メイク以外の話もしたい。一緒にドンキも行きたかった。だから・・・これからも一緒にいてくれる?」

佐々木は私の言葉を聞くと、満面の笑みを浮かべて答えた。

「うん!ありがとう、凛ちゃん!!!」

「あと、私の話も聞いて」

「うん!!いっぱい聞く!!!」

佐々木が私に抱きついてきたので、私もぎゅっと抱き返す。ぐしゃぐしゃになった佐々木の顔がYシャツに張り付いたのを感じて、シャツに染みたメイクの跡を落とせるか心配になったが、そのまま委ねることにした。

暫くしてゆるゆると離れ、佐々木を見ると、面白いくらい顔を真っ青にしていた。

「てか、ヤバ!泣き過ぎてメイクぜったい落ちてるんだけど。恥ず過ぎ・・・」

「化粧ポーチ持ってきてるから、私の貸すよ。こっち向いて」

「ええ~~~!凛ちゃんにメイクしてもらえるとかヤバ過ぎ!天使かよ~~~」

「目元腫れてるから軽くね」

私はスクバから化粧ポーチを取り出して、下地とアイシャドウを取り出す。涙で化粧が落ちた箇所を中心に軽く下地を塗り、目元にアイシャドウを重ねる。いつか佐々木につけてみたいと思っていた色だった。

「そういえば、凛ちゃんが教えてくれたネイル塗った!これ見て!めっちゃよくない!?」

「すごく似合ってる。佐々木のイメージぴったりって感じ」