※ネタバレを含む内容のため、ご注意ください。
「ポール・トーマス・アンダーソンの新作が出るぞ!スピルバーグがめちゃ褒めとる」的なニュースを目にし、気になって観に行ってきたんすけど、結果的に度肝を抜かれて帰ってきました。自分は彼の過去作を観たことがないのですが、今作をキッカケにすごく興味が湧きましたし、トマス・ピンチョンの原作も読んでみたいなと思いました。間違いなく今年観た映画で一番面白かったです。
語りたいことは色々あるんですけど、なんといっても音響が最高でした。特に終盤のカーチェイスシーンは、マスタングやダッジのあの爆音の走行音を浴びるのも楽しいんですけど、その音をかき消さない程度に調節した、観客の不安感を煽るBGMを丁寧に重ねていて、凄まじい臨場感を体験できました。興味があるなら「IMAX」や「Dolby Cinema」で観ることをマジでオススメします。
そして、センセイ a.k.a. ベニチオ・デルトロがもーーーーーーー最高でした…。元々「ボーダーライン」を観てから彼のことが大好きなんすけど、空手道場の師範の顔を持ちながら、メキシコ人コミュニティの首領(ドン)として居座っている姿が、もう見た目も役柄も自分のフェチズム過ぎて…。なに考えているか分からないけど全てのことを頭で計算しつくしている、一番相手にしてはいけない危険な空気を終始纏っていて、心の中のRotten Tomatoesでは10/5点くらい加点してました。彼をキャスティングした監督に感謝…。
そして、ストーリーもまた素晴らしかったすね。概要は省くとして、今作には現代に向けた様々なメッセージが込められていたように感じられました。個人的には信用は人種によって決定されないことを強く表現していたように思います。
例えば、フレンチ75のメンバーやウィラの友達は人種やアイデンティティが異なる人たちのグループだけど、パットやウィラを庇う仕草を見せながら最終的に裏切ってしまう。バクタン・クロスにいたメキシコ人達は逆に同志として迎え入れ、家族へ紹介したり匿ったりする。修道院にいた黒人のシスター達は、ウィラを「裏切り者の子供」として軽蔑する。脱出しようともがくウィラをアヴァンティが助ける。白人至上主義の秘密結社は、不誠実な対応をした白人を裁く。
このようなシーンの積み重ねが作品にサスペンス効果を生み出しつつ、逆にコミュニティの境界をあまりハッキリさせていないようにも思えました。信念に背いて不誠実な嘘をつけば、いつでも爪弾きにされる。逆に誰でもその一員になりうる側面もある。コミュニティは人種のような一要素で決定されず、そこにはグラデーションがあり、常に変容している。排外主義に染まりつつある世の中で、その様を描く作品が出たことに安堵しつつ、なんというか…本当に観てよかったなという気持ちでいっぱいになりました。
現代社会の写し鏡でありながら、笑って泣ける大衆映画でもある。そのバランス感覚が非常に素晴らしいと思いました。何度でも観たいし、全世界の人に観て欲しい。そしたらもっとマシな明日が来るかもしれない。そう、私も願っています。
10/12 追記
2回目を観に行ってきました。改めて俯瞰してみると、所謂「行きて帰りし物語」にピッタリ当てはまるというか、ハリウッド王道のストーリー構成で話が進んでいくように感じました。そのシンプルな骨格にこだわり尽くしたモチーフをこれでもかと肉付けしているのに、終始テーマは一貫しているので本当に凄い作品だなと改めて関心しました。
肝心のテーマについては、前回かなりメタ的に汲みとってしまったけれど、「No fear. Just like Tom fucking Cruise.」という熱すぎるパンチラインの通り、様々な「恐れ」を描いていたように思いました。冒頭に襲撃される移民収容所、仲間を売ったパーフィディア、何度も描かれる取り調べシーン、過去を消し去ろうと奮闘するロジャー。物理的・精神的な「恐れ」から解放されようともがく姿、そしてセンセイやウィラのように恐れずに立ち向かう人の姿。そして、パットとパーフィディアがウィラへ真実を伝えるフィナーレ。その一連の「恐れ」の描き方と向き合い方が印象的でした。
映画とは関係ないですが、ちょっとしたエピソードをひとつ。
横浜にお気に入りの四川料理のお店があるんすけど、以前そこで食事をしたら会計が妙に安かったんすね。小さなお子さんがレジ打ちをしていたので、勘定を間違えたのだろうと思い店に戻ったら、社長さんが喜んでくれて「お礼にどうぞ」と自家製の麻辣ピーナッツをくれたことがありました。今日この映画を観て、そのエピソードが甦りましたし、なんというか…そういう瞬間を大事にしていきたいなと改めて思いました。ちなみに勘定し直してもまだ安かったのですが、空気的に言いづらかったのでそのまま帰りました笑笑