私は職業柄、AI先生に助けを乞うことが多い。プログラムを書く時も、文章を考える時も、馬券を買う時も(?)、AI先生を頼りきっている。AI先生をどうにかする仕事もしている。AI先生なしの生活は考えられないほど、急速に日常へ溶け込み始めている。少なくともIT技術の現場では、一年前にはできなかったことができるようになっていて、そのスピード感に驚嘆しつつも辟易するばかりである。
AI先生に対する意見は様々あるだろうが、個人的には「使うか」「使わないか」議論するフェーズはとっくに過ぎていて、「使わざるを得ない」フェーズに入ったように感じる。既に社会インフラの一部には活用されていて、個人の意志に関係なく、間接的にその恩恵を受けている。仮想空間の優位性が極端に高まると、マトリックスみたいに、現実世界に「存在する」ことが人間の仕事になる…みたいな未来もあり得るのだろうが、現実問題、AI先生で解決できる社会問題がいくらでも転がっている以上、いくらか妥協して、AI先生とどのように折り合いつけていくかを考える必要があるのではと思う。
とはいえ、人間らから定型業務を奪い去ったところで、人間が何をできるのだろう…とも考えてしまう。「創造的な仕事へ集中できる」という謳い文句にイマイチ乗れない自分もいる。創造的な仕事はとにかくめんどくさいし、できればやりたくない……。なんかそういうオラオラしたメッセージ性も、AI先生が忌避される理由なんだろうか。
よう分からんけど、仕事をしたくないことだけは確かなんよな。AI先生がなんとかしてくれないかなーーー(振り出しに戻る)。